自由にならない、思うようにならないという意味です。
今でこそよく使うこの「まま」、我儘とかの「儘」なのですが、今回は私と「まま」との出会いを振り返りたいと思います。理由は、特にありません。
話は私が小学校に通学していた時代にまで遡ります。
あれは立ち読みだったか買ってもらったのだったか田舎のばーちゃんが営んでいる雑貨屋の店先に並んでいたものだったか記憶があいまいですが、とにかく幼いころに読んだボンボンに連載されていた「ロックマンX」の冒頭のシーンでした。
ホバーバイクに跨ったロックマンXが敵の攻撃を受けてピンチに陥り、敵の基地内に決死のダイブを行う場面だったと記憶しています。
バイクのダメージが限界にきていることを悟ったロックマンXが「ええい、ままよ!」と叫んだのです。
ままよ? 当時の私には理解不能な言葉でした。まま? マザー? 母?
敵に向かって女言葉で私がママよ? こんにちは赤ちゃん? それでは決死のダイブを行う行動と結びつきません。清純な小学生の私が当時に思いついた結論は、僕らのカッコイイロックマンXが「お母さん!」と乱暴される直前の女性のような叫びを上げた、という残酷な現実でした(壮絶な誤解)。
結局はロックマンも人の子、いやライト博士の子、最後は生みの親のことを考えるのか、とよく分からない寂しさを感じたことは、胸に深く刻まれました。
時は流れ、「ままよ」の真の意味を知った私はもう高校生。
どうにでもなれ、それがロックマンXの吐いた言葉でした。
自暴自棄じゃねーか……
しかし、今になって思い返してみても、ままならないままならないと嘆くばかりでえいや! ままよ! と飛び込むようなことをしてこなかったような気がします。
まあ、先細りの道をわざわざ選んだりはしていますけどね。
ここいらで一度、どうにでもなれ! と行動してみますか。
机の上に放置されていたクッキー(開封済み)が。賞味期限は一月前に過ぎております。
「……ええい、ままよ!」